第23回 (番外編)洪水避難と危機管理
Author : セルナジャヤ 高橋
Posted: 2007-03-02 00:00:00 | Category:
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◇住宅浸水で出勤不可、緊急連絡網が大活躍
2月1日未明、強く降り続ける雨の音で何度も目が覚め、まさか避難する事態になるとは予期もせず、夫と「この調子じゃ、バンジール(洪水)だね」と冗談交 じりで話していました。朝になると家の前は高さ30センチまで冠水しており、近所の家には少しずつ
水が入り始めていました。
出勤には欠 かせない通勤車と運転手。まずは運転手に連絡を取り、状況を確認したところ、「近くまで来ているが、バンジールで全く進めない!」とのこと。すぐに上司に 連絡し、状況を説明。運転手にも「引き返して、自宅待機するように」と指示しました。
こうした場合、まず状況を把握し、移動が困難と判断された場合は、車 が洪水に巻き込まれるよりも、自宅待機の方が無難だと実感しました。
スタッフ、家族、友人からも「××の自宅が腰辺りまで浸水し、出社 できない!」などと連絡が入り始め、このとき初めて「非常事態」であることを感じました。弊社は幸い緊急連絡網を整えており、幹部が出社できたので、オ フィスが“司令塔“となり、スタッフ全員の状況を把握。出勤の可否が分かり、また早退などの指示もスムーズに行われました。わたしも出勤できなかった間 は、主に携帯電話からショート・メッセージ・サービス(SMS)を送り、会社や友人たちと状況を報告し合いました。これは幸い、携帯電話が使えたので可能 でしたが、非常時には誰もが携帯電話を多用するもの。ときに長時間かかりにくくなり、携帯電話が通話不能になった最悪の場合に備えたスタッフ対応
マニュア ルも作っておく必要があるな-と思いました。
さて洪水ですが、1階が既に浸水したため、隣人たちを迎え入れて2階で過ごしていたとこ ろ、夜には電気・水道もストップ。ここから避難が本格化。やむを得ず、近くに住む友人のアパートへの避難を決行しました。浸水は腰辺りまで達していたた め、短パンに着替え、歩きやすいように靴は履かず、裸足でとにかく水中行進。時には胸辺りまで汚水につかりながら2時間歩き続け、主要交差点に到着。トラックに便乗し、幸い営業
していたスーパーでずぶぬれ姿のまま飲食品を少々買うことができました。
このとき実感したのは、非常時に備えた現金用意の大切 さ。スーパーではクレジットカードは使えず、現金自動預払機(ATM)も作動していませんでした。
友人のアパートに避難後、様子をみて自宅に戻るも、生活は無理と判断。友人宅やホテルを転々とし、移動手段には軍隊のトラックとボート、手作りいかだなど、日ごろまず利用することのない乗り物を体験しました。自宅に戻れたのは8日後のこと。長い長い避難生活でした。
今回の洪水では多くの企業も浸水などの被害に遭われ、大変だったと思います。
某企業のご担当者からは、工場は浸水しなかったが被害に遭った従業員が多く、
会社で救助隊を編成してトラックやバスで助けに行き、工場の一部を従業員とその家族の避難場所に提供した、という話をお聞きしました。5年に1回は大洪水 が起きるといわれるインドネシア。洪水だけでなく、あらゆる非常事態に備えた企業の危機管理が不可欠だと実感しました。
Author : セルナジャヤ 高橋
Posted: 2007-03-02 00:00:00 | Category:
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第23回 (番外編)洪水避難と危機管理
今回は、先月の洪水でわたしの住まいも被害を受け、当地の非常時の出勤・出欠対応について、わたしの「洪水体験」を交えて番外編として書かせていただきたいと思います。◇住宅浸水で出勤不可、緊急連絡網が大活躍
2月1日未明、強く降り続ける雨の音で何度も目が覚め、まさか避難する事態になるとは予期もせず、夫と「この調子じゃ、バンジール(洪水)だね」と冗談交 じりで話していました。朝になると家の前は高さ30センチまで冠水しており、近所の家には少しずつ
水が入り始めていました。
出勤には欠 かせない通勤車と運転手。まずは運転手に連絡を取り、状況を確認したところ、「近くまで来ているが、バンジールで全く進めない!」とのこと。すぐに上司に 連絡し、状況を説明。運転手にも「引き返して、自宅待機するように」と指示しました。
こうした場合、まず状況を把握し、移動が困難と判断された場合は、車 が洪水に巻き込まれるよりも、自宅待機の方が無難だと実感しました。
スタッフ、家族、友人からも「××の自宅が腰辺りまで浸水し、出社 できない!」などと連絡が入り始め、このとき初めて「非常事態」であることを感じました。弊社は幸い緊急連絡網を整えており、幹部が出社できたので、オ フィスが“司令塔“となり、スタッフ全員の状況を把握。出勤の可否が分かり、また早退などの指示もスムーズに行われました。わたしも出勤できなかった間 は、主に携帯電話からショート・メッセージ・サービス(SMS)を送り、会社や友人たちと状況を報告し合いました。これは幸い、携帯電話が使えたので可能 でしたが、非常時には誰もが携帯電話を多用するもの。ときに長時間かかりにくくなり、携帯電話が通話不能になった最悪の場合に備えたスタッフ対応
マニュア ルも作っておく必要があるな-と思いました。
さて洪水ですが、1階が既に浸水したため、隣人たちを迎え入れて2階で過ごしていたとこ ろ、夜には電気・水道もストップ。ここから避難が本格化。やむを得ず、近くに住む友人のアパートへの避難を決行しました。浸水は腰辺りまで達していたた め、短パンに着替え、歩きやすいように靴は履かず、裸足でとにかく水中行進。時には胸辺りまで汚水につかりながら2時間歩き続け、主要交差点に到着。トラックに便乗し、幸い営業
していたスーパーでずぶぬれ姿のまま飲食品を少々買うことができました。
このとき実感したのは、非常時に備えた現金用意の大切 さ。スーパーではクレジットカードは使えず、現金自動預払機(ATM)も作動していませんでした。
友人のアパートに避難後、様子をみて自宅に戻るも、生活は無理と判断。友人宅やホテルを転々とし、移動手段には軍隊のトラックとボート、手作りいかだなど、日ごろまず利用することのない乗り物を体験しました。自宅に戻れたのは8日後のこと。長い長い避難生活でした。
今回の洪水では多くの企業も浸水などの被害に遭われ、大変だったと思います。
某企業のご担当者からは、工場は浸水しなかったが被害に遭った従業員が多く、
会社で救助隊を編成してトラックやバスで助けに行き、工場の一部を従業員とその家族の避難場所に提供した、という話をお聞きしました。5年に1回は大洪水 が起きるといわれるインドネシア。洪水だけでなく、あらゆる非常事態に備えた企業の危機管理が不可欠だと実感しました。
時事速報インドネシア便連載